シオミパイヤの苦闘
「シオミパイヤの苦闘」 たった一人だけの帰還者
これは私の義父が残した戦争体験記のタイトルです。
生前、何度も出版の話が出ていたのですが、わざわざ本に出すほどのこともないということで、
自ら出版することはなく、亡くなってから知り合いの方が出版してくれたものです。
出版者は一応 義母の名前になっていますが…
たった一人だけの帰還者-まさにその通りで、パプアニューギニア近くにある島 ブーゲンビル島では、
日本軍とアメリカ軍、オーストラリア軍との間に激しい戦いが長く続き、
戦死、戦病死あわせて7万人の日本兵が戦死されたと言われています。
そのため、ブーゲンビル島の別名は墓島でした。
どうして戦争になったかとか、アメリカ軍、日本軍の関係など詳しいことはネットで検索をかければ
たくさん出てきますが、義父が書いたことはそういう歴史的な背景とは関係なく、
「激戦地帯での戦いはどんなものだったのか?」ということを知るためのノンフィクションなのです。
武器も食べ物も豊かなアメリカ軍とオーストラリア軍
それにくらべて
-あの十五ヶ月は人間らしい食べ物にお目にかかることはなかった。
-弾薬、兵糧、医薬品の補給は零
-軍靴に何年もご無沙汰の足
などなど、もう最悪の戦地だったことがわかるのです。
食べ物はないので 虫や草、キノコなど食べられるものは何でも食べたし、
時には死んだ敵兵が持っている食べ物セットを奪って飢えをしのいだり、
それも命がけで、この食べ物セットを拾いに行って殺される場合もある。
戦って死んだ人もおれば、栄養失調でなくなる人もたくさんいただろう。
病気や怪我をしても、薬も何にも無い。
4年もはだしで過ごしたなんて信じられませんでした。
ジャングルですよ。
義父が終戦まで生き延びて日本に復員したとき、
半そで半ズボンのボロボロな服を着て、足には何もはいておらず、飯盒をぶらさげて帰還したそうです。
同じ復員者でも、中国からの場合はいっぱい服を着て、かなり着膨れていたそうなので、
戦地によってかなり差があることもわかります。
兵隊の命のあまりにも軽いこと。
それでも「天皇陛下万歳」と言って死んでいく人もいたし、
これが本当に起きたのかどうか、ふしぎに思うぐらいの世界が現実にあったんだなあとじわじわと感じさせてくれます。
こんな激戦区で一人生き残り、無事帰還した義父
生きていることが奇跡状態ですので、その父から生まれた主人と結婚した私、
そして生まれてきた娘 みんな奇跡の生物のように思いました。
ブーゲンビル島で
10cmずれたところに座っていたら死んでいたかもしれない。
栄養失調で死んでいたかもしれない。
毒きのこを食べて死んでいたかもしれない。
脱走して射殺されていたかもしれない。
手榴弾で殺されていたかもしれない。
そんな人から生まれただんな、そして娘の命ってすごいアメージングな気がします。
あそこで命を捨てたとずっと思っていた義父
チラシの裏に書かれた遺言には、遺骨はブーゲンビルの海に撒いて欲しいと書いてあったそうです。
それが無理ならば鳴門の海でいいということだったので、家族は散骨を鳴門で済ませてしまったのですが、
ブーゲンビルまで行ってあげれば良かったのにね。まだチャンスはあるかな。
「シオミパイヤの苦闘」は104ページの同人誌みたいなつくりの本で、
出版はされましたが売られていません。
しかし、この「シオミパイヤの苦闘」をご覧になった
よねもとひとしさんが 著書「あの世」という本に、全編そのまま引用してくださったので
普通に本屋さんで売られていますし、Amazonなどネットショップでもお買い求めいただけます。
「あの世」はまだ全部読んでいませんが、義父の手記をテーマに、あの世について書かれたものです。
面倒ですがポチッとお願いします。
人気blogランキングへ
こちらもお願いします。
これは私の義父が残した戦争体験記のタイトルです。
生前、何度も出版の話が出ていたのですが、わざわざ本に出すほどのこともないということで、
自ら出版することはなく、亡くなってから知り合いの方が出版してくれたものです。
出版者は一応 義母の名前になっていますが…
たった一人だけの帰還者-まさにその通りで、パプアニューギニア近くにある島 ブーゲンビル島では、
日本軍とアメリカ軍、オーストラリア軍との間に激しい戦いが長く続き、
戦死、戦病死あわせて7万人の日本兵が戦死されたと言われています。
そのため、ブーゲンビル島の別名は墓島でした。
どうして戦争になったかとか、アメリカ軍、日本軍の関係など詳しいことはネットで検索をかければ
たくさん出てきますが、義父が書いたことはそういう歴史的な背景とは関係なく、
「激戦地帯での戦いはどんなものだったのか?」ということを知るためのノンフィクションなのです。
武器も食べ物も豊かなアメリカ軍とオーストラリア軍
それにくらべて
-あの十五ヶ月は人間らしい食べ物にお目にかかることはなかった。
-弾薬、兵糧、医薬品の補給は零
-軍靴に何年もご無沙汰の足
などなど、もう最悪の戦地だったことがわかるのです。
食べ物はないので 虫や草、キノコなど食べられるものは何でも食べたし、
時には死んだ敵兵が持っている食べ物セットを奪って飢えをしのいだり、
それも命がけで、この食べ物セットを拾いに行って殺される場合もある。
戦って死んだ人もおれば、栄養失調でなくなる人もたくさんいただろう。
病気や怪我をしても、薬も何にも無い。
4年もはだしで過ごしたなんて信じられませんでした。
ジャングルですよ。
義父が終戦まで生き延びて日本に復員したとき、
半そで半ズボンのボロボロな服を着て、足には何もはいておらず、飯盒をぶらさげて帰還したそうです。
同じ復員者でも、中国からの場合はいっぱい服を着て、かなり着膨れていたそうなので、
戦地によってかなり差があることもわかります。
兵隊の命のあまりにも軽いこと。
それでも「天皇陛下万歳」と言って死んでいく人もいたし、
これが本当に起きたのかどうか、ふしぎに思うぐらいの世界が現実にあったんだなあとじわじわと感じさせてくれます。
こんな激戦区で一人生き残り、無事帰還した義父
生きていることが奇跡状態ですので、その父から生まれた主人と結婚した私、
そして生まれてきた娘 みんな奇跡の生物のように思いました。
ブーゲンビル島で
10cmずれたところに座っていたら死んでいたかもしれない。
栄養失調で死んでいたかもしれない。
毒きのこを食べて死んでいたかもしれない。
脱走して射殺されていたかもしれない。
手榴弾で殺されていたかもしれない。
そんな人から生まれただんな、そして娘の命ってすごいアメージングな気がします。
あそこで命を捨てたとずっと思っていた義父
チラシの裏に書かれた遺言には、遺骨はブーゲンビルの海に撒いて欲しいと書いてあったそうです。
それが無理ならば鳴門の海でいいということだったので、家族は散骨を鳴門で済ませてしまったのですが、
ブーゲンビルまで行ってあげれば良かったのにね。まだチャンスはあるかな。
「シオミパイヤの苦闘」は104ページの同人誌みたいなつくりの本で、
出版はされましたが売られていません。
しかし、この「シオミパイヤの苦闘」をご覧になった
よねもとひとしさんが 著書「あの世」という本に、全編そのまま引用してくださったので
普通に本屋さんで売られていますし、Amazonなどネットショップでもお買い求めいただけます。
「あの世」はまだ全部読んでいませんが、義父の手記をテーマに、あの世について書かれたものです。
面倒ですがポチッとお願いします。
人気blogランキングへ
こちらもお願いします。
by Junpei642
| 2008-11-19 18:08
| Book Review
香港...出会いと別れが頻繁におとずれるtransitoryな街で、日本語を教えながら暮らしています。現在Kissing Fishというインディーバンドでベースを弾いております。ベースだけじゃなくてギター弾いて歌ったり、ドラムもたまにたたいたり、音楽とミュージシャンにかこまれ心豊かな日々を生きるパワフルおばちゃん!
by Junpei64
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
記事ランキング
画像一覧
カテゴリ
全体日々のつぶやき(日記)
食べる 呑む
Movie Review
Book Review
Viva! Music
Education
My sweet Tetsu
Medical topic
My Precious
香港おいしい一人飯
香港、中国
Girls Band Project
Hong Kong Indies
Japan!
英語の話
お化粧
気になるブログ/サイト
2006年4月までのCafe Bleu@HK
ベルガモットなブログ
ホンコンひとりごち
Markの魔悪的考察
港式ブログサービス
港式ブログサービス雅虎支店
Blog版香港中国熱烈歓迎唯我独尊
ゆっくりまったり独り言
香港楽屋裏
ichikiの香港日記
ほんこんからさぶかるる
途夢郷どっと混む
Donky のオヤジ的 香港 Life
ROBI@HK
東京イラスト写真日誌
ひろの雑記帖
華の世界の中心
阿健のお気楽天国
Skytrainの香港駐在日記
モルトの灯
Bar&SingleMaltWhiskyに浸った日々
かれん@USA
Wish you were here
ぴっこらイタリア
ぎりぎりOL
風日記FROM
ピアーズ関西
日本の教育は、これでよいのかな
気ままな主婦生活 in Hong Kong
ゲイがズバリ言うわよ!カナダ生活
色。
モカP怒涛の音楽日誌in香港
my-ponchanのウハウハ香港日記
香港生活と中国株
カルフォルニアのばあさんブログ
洋書と英語の日々
こえだガッフェ
遊びの達人の言いたい放題
金玉満堂酒店
DJ Kennedy/life is damn groovy
Walk on the back streets
香港経由、旅たびアジア
香港街道 Hong Kong Streets
夫婦でマニアック海外旅行
ベルガモットなブログ
ホンコンひとりごち
Markの魔悪的考察
港式ブログサービス
港式ブログサービス雅虎支店
Blog版香港中国熱烈歓迎唯我独尊
ゆっくりまったり独り言
香港楽屋裏
ichikiの香港日記
ほんこんからさぶかるる
途夢郷どっと混む
Donky のオヤジ的 香港 Life
ROBI@HK
東京イラスト写真日誌
ひろの雑記帖
華の世界の中心
阿健のお気楽天国
Skytrainの香港駐在日記
モルトの灯
Bar&SingleMaltWhiskyに浸った日々
かれん@USA
Wish you were here
ぴっこらイタリア
ぎりぎりOL
風日記FROM
ピアーズ関西
日本の教育は、これでよいのかな
気ままな主婦生活 in Hong Kong
ゲイがズバリ言うわよ!カナダ生活
色。
モカP怒涛の音楽日誌in香港
my-ponchanのウハウハ香港日記
香港生活と中国株
カルフォルニアのばあさんブログ
洋書と英語の日々
こえだガッフェ
遊びの達人の言いたい放題
金玉満堂酒店
DJ Kennedy/life is damn groovy
Walk on the back streets
香港経由、旅たびアジア
香港街道 Hong Kong Streets
夫婦でマニアック海外旅行
フォロー中のブログ
音楽、空間、好鐘意(大好き)!Rock and Mov...
だるにーの脳ミソ
別館・我要的幸福
La Dolcé vita
Hachiの香港家計簿
アメリカナース日記
音楽の杜
エミリアからの便り
熊猫漫遊記
じゅんじゅんの香港日記
六福1☆
いつの間にか20年
こんな一日
ま、どうでもいんだけど
別冊・Hachiの香港ニ...
ミヤモーの戯言
中国茶徒然日記
フォンの野菜メニュー
おはな 山の中日記 ~北...
香港日々探検日記
ブラボーのひとりごと
鴛鴦茶餐廳 いんよんち...
lei's nihong...
憧れの地は香港
koedagaffe分店...
Made in Hong...
アジア暮らし
Lady Satin's...
外部リンク
以前の記事
2017年 10月2017年 09月
2017年 08月
more...
ブログパーツ
ブログジャンル
検索
タグ
The Wanch(65)香港(27)
Don't Panic(17)
DragonFruits(17)
Wanch(16)
Ice Box(11)
The Sonic Spheres(11)
朝の英会話サロン(10)
Retrobates(10)
西村珈琲室(9)
Speed King(8)
ガールズバンドプロジェクト(8)
Never N(8)
ダイエット(7)
Helter Skelter(7)
Hong Kong(6)
一平安(6)
Amazonia(6)
Signal 8(6)
糖質制限ダイエット(5)